クニエダさんと『クニエダヤスエSTYLE』を企画開発、販売している商社のまるぶんさんの出会いは、30年ほど前にクニエダさんがまるぶんさんを訪ねたことに始まるそうです。
クニエダさんは、百貨店での大型イベントを控えていて、そこで販売する商品の開発をまるぶんさんに依頼します。
そこで、クニエダさん所有の古陶磁をモチーフにしてアレンジを加えたオリジナル商品を製作し発表・発売し、成功を収めたそうです。
それ以降、古伊万里や中国古陶磁などをアレンジしたオリジナル商品を、クニエダさん監修の下に企画開発し、販売することになり、まるぶんさんと商品開発のアドバイザー契約を結び、クニエダさんとのコラボレーションが続いていきます。
まるぶんさんの商品開発を担当された専務取締役 篠原賢次さんは、ご自身も染付がお好きで、クニエダさんを通して商品開発やコーディネート術を少しずつ習得し、クニエダさんと同じ価値観を持っていたので、楽しく担当できたとおっしゃっています。
そして、クニエダさんが亡くなった後、今後どのようにクニエダさんのことを伝えて残していこうかとご子息の奥様 佐藤富士子さんと深慮を巡らせ『クニエダヤスエスタイル』というブランドを誕生させたそうです。
新商品の開発時には、常に「クニエダさんがいたらどうなのか」にこだわって、佐藤富士子さんと一緒に企画なさったそうです。
「クニエダヤスエさんは、どのような方でしたか。」
私にとってクニエダさんは、だんだん東京のおっかさん的な存在となり、仕事で上京した際は、目黒区青葉台のご自宅を訪問するのが習慣になってしまいました。
お酒が好きでよく一緒に会食しました。
代官山や中目黒界隈の(ご自身で開拓された)お店など外に出かけることもありましたが、ご自宅で手料理をいただくこともよくあり、お洒落な空間、器、時間を満喫しました。
クニエダさんは麹町生まれの生粋の(ちゃきちゃきの)江戸っ子でした。
有田の窯元で商品を選ぶ際、その取捨選択が早いこと!迷わず選んで「はい、次!」という感じでした。
クニエダさんに尋ねましたら、テーブルコーディネーターはスタイリストであるので、あれこれ迷ったらダメと、おっしゃいました。
とにかく決断はいつも早く明確でした。
知り合った当時、今から30年くらい前になりますが、クニエダさんはカントリースタイルが大好きで、私自身もその影響でカントリースタイルにハマりました。
自由が丘にあったデポー39(2005年に閉店)など当時の素敵なカントリースタイルのお店を紹介していただきよく通いました。
アメリカ西海岸サンタバーバラにあるカントリースタイルのロッジ「サンシードロランチ」はクニエダさん一押しのお奨めスポットで、俳優のビビアンリーとローレンスオリビエがこっそり結婚式を挙げた所だそうで、自身の新婚旅行で立ち寄り宿泊しました。
素晴らしいロケーションの中で、コテージ、レストラン内のインテリアや調度品などの珠玉のアメリカンカントリーに触れることのできる素敵なところでした。
今でもカントリーは大好きです。
それから、東日本大震災が発生した数日後、クニエダさんを心配してお電話をしたのですが、「大丈夫よ」と笑い飛ばされたのですが、その数日後に亡くなられてしまったので、その会話が最後になってしまいました。
大学、社会人で有田を9年ほど離れ戻って来た私にとって、クニエダさんが有田焼に抱く感性や価値観を学び共有することで、商品開発へのヒントを多々頂いたと思います。
弊社は福泉や山口洋一工房など染付を中心とした商材にだんだんと特化してまいりましたが、その方向性は間違いなかったと思いますし、また「門前の小僧」ではありませんがテーブルコーディネートやディスプレー術も見様見真似でいつの間にか少しは身についたと思います。
天上のクニエダさんからは「何やってるの、全然ダメよ!」と怒られそうですが、私にとってはかけがえのない師匠、感謝あるのみです。